当時、青山は電車も走っていない東京の郊外でした。北野茂吉が、仏前のお供え花を扱うささやかな生花店を青山善光寺の前に開き、「花茂」と名付けました。花を積んだ箱車を引きながら、青山一帯から麻布霞町、笄町、高樹町、原宿と少しずつお得意様を増やしていったといいます。以来100年以上、お客様と花の品質を何よりも大切に歩み続けて参りました。
2代目・北野豊太郎が、赤坂区青山北町6丁目(現在の港区北青山3丁目表参道交差点付近)に新店舗を開きました。
店舗に電話を設置したことにより、新たな販路を獲得します。1日の店頭売上が1円の頃、電話設置料300円、年間使用料40円の超高級品だったそうです。
創業当初の箱車販売
大正5年の店舗。現在の表参道交差点付近
豊太郎が、日本初の生花店の組合組織、「大日本花卉連盟」を創設し、副組合長に就任しました。
このころ、いけばな小原流からのお稽古花のご利用が増え、事業が拡大していきます。
大正時代のカタログ
太平洋戦争の中、空襲で店舗が全焼。戦災により、社員数や事業規模を大きく縮小。
大正時代のカタログ
大正5年の店舗。現在の表参道交差点付近
終戦から2年経ち、バラック同然の店ではありましたが、港区北青山3丁目(現在の青山花茂ビル所在地)で事業を再開しました。戦災により社員数や事業規模を大きく縮小しての再スタートとなりましたが、3代目北野太郎による産地開拓や新規事業拡大により、現在の事業の礎が築かれました。
現在の店舗の場所はこの時から
宮内庁記者会見の活け込み
宮内庁への納品開始。以来、長年にわたり、ご宴会や催事の飾り花、日々の活け込みなど、ご用命をいただいております。
宮内庁記者会見の活け込み
4階建てのビルの青山花茂本店が竣工しました。地下が作業場兼倉庫、1階・2階をショールームとして、4階には当時としては珍しいフラワーデザインスクールが開講されました。
現在の青山花茂ビルが竣工しました。
昭和30年代の店内風景
店内には、花々がバラエティ豊かに揃います
オンラインショップを開設。2014年にサイトの全面リニューアルを行い、現在の形になりました。
ロゴ変更を主としたブランドリニューアルとあわせ、より花を選んでいただきやすい店舗を目指し、青山店の改装を行いました。
創業120周年を迎えました。120周年特設ページはこちら。
店内には、花々がバラエティ豊かに揃います